尾道みなと祭のはじまり
尾道は、1169(嘉応元)年に備後大田庄の倉敷地として公認され、荘園米の積み出し港となって以来、対明貿易等内外航路の重要な港町として発展してきました。1741(寛保元)年には、当時の町奉行である平山角左衛門が、住吉浜を築調し、北前船の入港が盛んになり、商港都として大発展を遂げることになりました。
このように尾道発展の礎となった尾道港開港の恩人平山角左衛門の功績を称え、尾道のさらなる発展を祈念して、1934(昭和9)年に尾道商工会議所議員総会において、「尾道港開発の功労者、平山角左衛門を祭神とする例祭として年中行事をなす。」と「港祭」創始に関する決議がされました。
第1回尾道みなと祭は、1935(昭和10)年4月1日から5日間盛大に開催されました。
1937(昭和12)年に第3回の祭が開催されましたが、時局に鑑み、1947(昭和22)年の第4回まで中止されました。それ以降、尾道みなと祭は毎年開催され、現在に至っております。



尾道みなと祭の変遷
尾道みなと祭は、浄土寺における平山角左衛門翁法要と、それに続く平山霊神社における祭典で幕を開けます。その後2日間にわたり、尾道駅周辺、本通り商店街、海岸通りで様々な行事が催されます。
2002(平成14)年以前は、尾道の伝統的な楽曲である正調尾道三下がりの踊りパレード、仮装行列、海に関する行事、歌謡ショーが祭の主な行事でした。
2002(平成14)年は尾道駅前再開発の完了の年であり、それを機に尾道みなと祭も改革が行われました。この年に開催された第59回尾道みなと祭では、「ええじゃんSANSA・がり踊りコンテスト」が始まりました。現在では「ええじゃんSANSA・がり踊りコンテスト」が尾道みなと祭の中心行事となっています。
ええじゃんSANSA・がり踊りコンテスト
正調尾道三下がりを現代風にアレンジした楽曲が、「ええじゃんSANSA・がり」です。
「ええじゃん」とは、尾道の方言で「いいだろう」、「いいでしょう」を意味します。「SANSA・がり」は原曲名から残した「三下がり」の表記を変えたものです。本来、「三下がり」とは三味線の調弦法の一つで「さんさがり」と読みます。この前半の「さんさ」を若者が親しみを持ちやすいようにローマ字表記の「SANSA」に、後半の「がり」には「歌いたがり・踊りたがり・目立ちたがり」のような様々な「がり」を表現するために、敢えて「・」を使って「SANSA」と分けました。
この「ええじゃんSANSA・がり」に合わせて、参加団体が自由な発想で創作した振り付けで踊り、競うのが、「ええじゃんSANSA・がり踊りコンテスト」です。その最大の特徴は、尾道市内の全小中学校の児童・生徒が参加していることです。それが楽しい思い出となり、地域の連帯感も生まれ、ひいては子供たちの郷土愛を育むことにも繋がっています。